沿海州に関するマメ知識

ロシア沿海州は、かつて渤海国の版図であったが、その後中国領となり、清朝の時代には各地に交易のための出張所が置かれた。
1809年、間宮林蔵は、樺太人から聞いた、黒竜江アムール川)沿岸に何らかの役所が存在するという町「デレン」の存在、およびロシア帝国の動向を確認すべく、樺太人らと共に海峡を渡って黒竜江下流を調査した。間宮らの沿海州渡航記録は『東韃地方紀行』として残されている。その中で、当時はまだロシア帝国が極東地域を必ずしも十分に支配しておらず、清国人が多くいる状況が報告されている。この地域は、西洋人には満州民族の居住地、満州の一部(外満州)として知られていた。19世紀には清の入植規制が緩み、李氏朝鮮の圧制を逃れてきた朝鮮民族も定住した。第二次アヘン戦争においてロシアが清と英国の調停をした返礼としてロシアに割譲され、現在に至る。詳細は1860年の「北京条約」に基づく。