「殺処分」について

私は「殺処分」という用語を使用せざるを得ないときには必ず括弧書きすようにしている。この言葉が嫌いだから、ということもあるが、このような軽い語感を持つ表現が普通に使われることへの強い抵抗感のためでもある。

「処分」とは、不要なものや余分なものなどを、捨てる、消滅させる、など適当な方法で始末する場合にも使われる表現である。「要らなくなった」から、「役に立たなくなったから」と、捨てられる廃棄物の如し。
無論、ここでの「処分」は行政権または司法権を作用させる行為を指すものであり、上記の意味とは異なる(例:行政処分・強制処分・保護処分な ど)。つまり、「殺処分」とは、「公法上殺すこと」であり、言い換えるなら、法律によって犬猫の殺害を正当化する根拠を与えているものである。
しかし、「殺処分」といわれるものの実態は、犬猫たちの「大量殺戮」であり、犬猫たちの「ホロコースト」である。動物たちは二酸化炭素ガスを注入 され、苦しみもがきながら死んでゆく。どのような法令を以ってもこのような野蛮で非倫理的な行為は正当化できるものではない。また、「殺処分」という言葉 を使用することによって、犬猫たちの命を奪うことが本当に法令上の機械的な作業になってしまわないか、実際に不要物を捨てる意味の「処分」に、変わってし まうのではないか、恐ろしい気がするのである。

もちろん、便宜上使用せざるを得ない場合もあるかもしれないが、そのような場合にも、できれば括弧書きしてほしい。そして、文脈上可能であれば、 「犬殺し、猫殺し」と言い換えてほしい。それは、私たちひとりひとりが、私たちの家族である犬猫たちの命を奪うことがどれだけ罪深いことか自覚することに つながるからである。「要らなくなったから捨てる(処分)」と保健所に連れてきて「行政権を行使して殺害する(殺処分)」など、あまりにも悲しいブラック ユーモアではないか。